平成最後の年となった2019年。
私は日本を離れフィリピンのセブ島で働いています。
英語も話せない、何のスキルもない自分が海外で暮らしている姿は数年前の自分から見たら信じられない事だと思う。
正直、海外に興味なんてなかったから、海外旅行もほとんど行った経験もない。
そんな自分が海外で働いて、生活しているので「人生って分からないな〜」とつくづく思います。
自分のこれまでの経歴をザッと紹介すると
- 文系大学
- 新卒で営業マンとしてブラック企業に就職
- 中小企業に転職、関西拠点の立ち上げを行う
- エンジニアに憧れてフィリピン・セブ島にエンジニア留学
- 挫折
- 日本に戻るも海外で働きたいからフィリピン・セブ島でWebマーケとして就職。
色々あったが一番学んだことは「恐れずに決断する」だと思います。
新卒で入社したブラック企業を1年で辞める時も、30歳で仕事を辞めてフィリピンに留学した時も当時は不安しかなかった。
しかし思い切って決断したからこそ、今の自分がある。
自分のここまでの経緯をゆっくりと綴っていきたい。忘れたい過去、忘れたくない出来事も全部含めて、覚えている限りを書いていきます。
まずは就職活動時代を振り返りながら「なぜブラック企業に入社したのか?」について
リーマンショックにより内定率は過去最低
私が大学を卒業したのは2010年。
2008年にアメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破綻した事をきっかけに発生した世界的規模の金融危機「リーマンショック」の影響をもろに受けた世代です。
この頃は業績不安や先行きの不透明さから企業はこぞって新卒者の採用を控えました。
俗にいう、就職氷河期ってやつです。
Wikipediaによると2010年〜2013年卒の学生が影響を受けたそうです。
リクルートキャリアの調査によると2019年卒の大学生の就職内定率が94%に対して2010年卒は60.4%なので、かなりしんどい時代だったと思います。
私はバリバリの当事者ですが「就職厳しいな〜」という実感はありませんでした。
それは私が超優秀な学生だったからではなく、単に何も考えていない典型的なダメな学生だったからです。
大学に朝から晩までいた就活時代
世間がリーマンショックの影響でてんやわんやしていましたが「そんなのどこ吹く風」と普段通りの生活をしていた私。
基本的には朝から晩まで大学にいるorバイトという生活スタイルでした。
単位がギリギリだったので、大学には毎日行っていました。
しかし、学生ホールという学生の溜まり場でずっと友達とトランプをしたり、くだらない話をして学校が閉まるまで過ごしていました。
それはそれで楽しかったのですが、今思うと「もったいない時間の使い方をしていたなぁ」と後悔しています。
就活を開始するも志望動機が書けない
世の中の動きに興味がない。
自分について向き合わない。
将来について考えない。
こんな感じで「今が楽しければいいじゃん」って感じでふんわり生きている学生でしたので、就職活動の志望動機はとてもとても苦労しました。
ゼミでマーケティングを選考しており「世の中のムーブメントにはマーケティングが必要だ」とびっくりするぐらい浅く理解した私は
と思っていました。
しかし「なぜマーケティングをやりたいのか?」「マーケティングのどういう部分が楽しいと感じるのか?」という根本の部分をちゃんと考えていなかったので「なんとなくマーケティングがやりたいです!」という謎のPRしか出来ませんでした。
たらればの話をしたらキリがないのですが、
と本気で思います。
(就活本を買ったり、セミナーに参加して就活した気になっていた自分を呪いたいです…。)
ブラック企業から内定GET
とクソみたいな理屈で営業系の会社も視野に入れて選考に進んでいたある日。
それは突然やってきました。
選考に進んでいたある会社から内定が出たのです。
第一志望ではなかったですが、内定は嬉しかったです。
とりあえず内定は出たので一安心。
しかし、このまま就職活動を続けるか?ここで終了するか?
15分考えた結果…。
あの時の自分に会えるなら、ボコボコにしてでも考えを変えさせます。
日本で最強のカード「新卒カード」をQUOカードのごとく、あっさりと使ってしまった私は4月から社会人となりました。
株式会社光通信の社員として…。
続く。
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